打席に立て
○○君はいい旦那さんになりそうだよね。
彼氏じゃなくて旦那さんにしたいタイプだよね。
周りが続々と旦那さんになっていくなか、この言葉がいかに空虚なものであると実感させられるお年頃になってしまったなと。
このいい旦那さんになりそうという言葉は、 私はタイプじゃないということをアピールしつつ、 相手を下げずちょっと持ち上げる絶妙な言葉であり、悪魔の言葉と名付けたい。
よく日本は本音と建前の社会といわれるけれども、 女性はより本音と建前で生きているように感じる。
○○君彼女いそうなのに~!というのも建前だし、 すぐにいい人見つかるよ~!というのも建前である。
この建前の裏にある本音は、 私はお断りだけどなというものであり、 自分に火の粉が降ってこないように自分自身を守る術を生まれなが らにして身につけているのである。
単純な男はこの建前を真に受け、 周りが着地点を見出しているにもかかわらずいつまでたってもスタ ート地点につけず世の中が悪いだの、 なんだの言っているのであろう。
では、自分自身はどうだろうか。
自分の答えは極めてシンプル、不相応に理想が高い。 これに尽きる。
愛されるよりも愛したいマジで、 追いかけられるより追いかけたいをこじらせ、 自らにチャンスがやってきた場合も見事に自分から捨てている。
経験値を上げるためにとりあえず付き合ってみたらいいじゃんなど と言われるけれども、 自分が追いかけたい人ではない人と過ごすよりも趣味に時間を費や す方が楽しいと思いっている性分なので打席に立たないことが多い 。
むしろピッチャーマウンドに立って打席に立っている相手にボール を投げようとしたけど、 結局申告敬遠するという方が近いかもしれない。
そうして経験値が貯まっていないのにも関わらず、 自分が追いかけたい人に挑み空振り三振、 いやバットも触れずバッターアウトになってしまうのである。
そういう意味では、 打席に立つということは大事なのかもしれない。